羽州街道ノート

一里塚


両側の塚が健在な鴨巣一里塚(秋田県能代市)
 一里塚は参勤交代や旅人、駕篭かきなどにとって、かけがいのない存在でした。距離の目安だけでなく、旅人の休憩、駕篭や馬の賃銭を決めるのにも使われたためです。
徳川幕府が一里塚の設置を定めたのは慶長9年(1604)から10年。江戸に幕府を開いた3年後のことでした。五街道(東海道、中仙道、甲州街道、日光街道、奥州街道)は幕府道中奉行の直轄管理下にありましたが、それ以外の街道や一里塚は設置から維持管理まで、それぞれの藩にまかされていました。
塚に植える塚木も各藩の自由でした。秋田城下の久保田から江戸までの旅の記録である『道中記』には、一里塚の塚木が記録されています。秋田藩ではサイカチやケヤキ、新庄藩や山形藩では松や杉、仙台藩領の七ヶ宿や天領だった桑折ではエノキが多く見られます。
 珍しいのは新庄市の鳥越一里塚のブナ、横手と湯沢の中間にある石成の一里塚の梨、金山と真室川の中間だった主寝坂の北の一里塚は栗と漆が植えられていました。ほかにも桜やクルミなども見受けられます。
この『道中記』では、新庄鳥越一里塚と七ヶ宿の滑津一里塚は樟(クスノキ)と書かれています。クスノキは関東以西の暖かい地方に育つ木なので、もしかしたら間違いかもしれません。他の資料と比べてみたいものです。
残念ながら羽州街道沿いに、一里塚は多く残されていません。両側の塚が原形をとどめているのは、秋田県能代市鶴形にある「鴨巣一里塚」くらいでしょうか。さらに道の駅・かみおか(大仙市)の前、六郷(美郷町)、湯沢市吹張などには片側だけですが堂々とした塚と塚木が残されています。
また、秋田県八郎湖東岸の三種町から能代市桧山大森にかけ、かつて一里塚があった場所に連続して6カ所石柱や看板が立てられています。
こうしてみると一里塚は秋田県に多く残されているようですね。このほか皆さんの近所などにも一里塚があると思います。是非、一里塚情報をお知らせください。
 

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