山形県上山市

古街道のたたずまい【楢下宿】
←滝沢屋(楢下宿)
(七ヶ宿町)干蒲(ひかば)宿から山形県境の(旧道)金山(かねやま)峠を越えると、(山形県)金山宿に入る。峠道は植林された杉林の中の山道となっており、時折猿などとも出会うことがある。木道が整備されていて歩きやすい。途中には文政12年(1829)の馬頭塔や享和2年(1802)湯殿山碑、八日講供養塔などが往時の面影をとどめている。
金山宿は干蒲宿と同様、間ノ宿(あいのしゅく)として利用されたところだ。廃屋を含め10戸もない僻村で、今はかよってくる住人だけになっている。(上山市)楢下(ならげ)は本陣があり、多くの大名が宿泊してきた羽州街道の要となっていた。今は保存地区となっていて多くの茅葺屋根の宿場をみることができる。予約すれば地元観光ガイドが案内してくれる。周辺マップ
蔵王連峰を望む上山(かみのやま)路
←上山城
楢下から本庄街道を北西に進むと、上山(かみのやま)へ入る。このあたりは宿駅制度が確立した藩政初期に本庄街道が整備された。それ以前は須川右岸域の牧野街道が本道となっていた。上山城は、本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」といわれた。歴代藩主は、能見松平家2代(4万石)、蒲生家1代(4万石)、土岐家2代(2.5万石、後3.5万石)、金森家1代(3.87万石)と目まぐるしく藩主が入れ替わった後、藤井松平家が封じられた。その後明治維新まで藤井氏が当地を治め、10代(3万石)信安の代まで居城として用いた。。土岐家の時代には、時の高僧「沢庵禅師」が3年半暮らした。古くから出羽三山修験道の宿にもなっていて、温泉地として栄えていた。現在市内には地区ごとに、湯町、新湯、高松、葉山、河崎など数多くの温泉があり、「かみのやま温泉郷」となっている。周辺マップ(山形市・齋藤仁市)
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