山形県天童市

【天童宿】
天童市は羽州街道沿いの宿場町として栄え、(241.8m)の北で温泉が発見されてからは、観光・保養の地(天童温泉)として繁栄してきている。
天童宿の入り口は一日町で文政12年(1829)の絵図では柵が巡らされている。南北朝時代の南朝方の北畠天童丸が城館を構えた舞鶴山の北目から山寺街道への道が分かれ、「右 若松道 左 湯殿山道」の道標碑がある。若松は花笠音頭に歌われる「めでためでたの若松様よ」ののことである。
藩政期、天童は市が盛んだったところで、一日町や三日町、五日町などではひと月に12日は市がたった。若松寺や愛宕神社の祭礼日の市や馬市、生紅花市などで、近郷近在から多くの人が集まり、殷賑を極めたという。
市内の中央部にそびえる舞鶴山は、全山が城山で主郭は山頂の愛宕神社の鎮座する平場である。舞鶴山一帯は市民の憩いの公園となっており、毎年4月には人間将棋が行われる。公園内の約2000本の桜と相まって山形の春を代表する観光イベントとなっている。周辺マップ (金山町・西田 徹)
←建勲神社
舞鶴山には天童藩主であった織田信敏が先祖の織田信長を祀るため建立した
建勲神社
があります。

←旧東村山郡役所資料館
旧東村山郡役所資料館や寺院があり、麓の旧街道は出羽桜酒造を中心とした落ち着いた家並みが連続し、出羽桜美術館、広重美術館、天童市美術館を訪ねてみるのも面白い。
天童市は将棋駒が生産量日本一である。これは、江戸時代の天童織田藩による財政危機救済のため、藩士が内職として奨励されたことが天童駒の始まりと言われている。

←舞鶴山麓の旧街道の様子
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