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羽州街道と宿場concept


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山形県尾花沢市

【尾花沢宿】
 「陸の尾花沢」、「川の大石田」と称されるほど、両地は村山地方北部の交通の要所となっていた。尾花沢は羽州街道の宿場町や幕府代官の陣屋町、大石田は最上川舟運の川湊としてともに栄えたところである。
 尾花沢宿は、中町、の三組が伝馬役を分担していた。本陣は中町()にあって大名通行などに備えていたが、元文元年(1736)大雪で倒壊し、20年間も再建できなかったため大石田経由の
道が使われた。豪雪地帯の悲哀と苦難の歴史が刻み込まれていると言えよう。
 この町では六斎市が開かれたことから一日町、七日町、朔日町などの町名も残る。また、諸国に知られた馬市があって、毎年、南部駒(馬)や小国駒の取引で大いに賑わったという。天明8年(1788)、幕府巡見使に随行して訪れた古川の『東遊雑記』にも、「奥羽の、引きたりて売買する・・・・」と馬市のことに触れている。
 元禄4年(1961)、水戸藩主徳川光圀は『大日本史』編さんのため、藩士丸山を奥羽に派遣した。その時の『奥羽日記』に、丸山は尾花沢のことを「大ナル町ニシテ、一里斗モ有、宿ヨリ南ハ江戸街道、西ヘハ山形、会津へ出ル」と書き留めている。
 七日町の市神である上町観音堂から進んだ中町十字路は、昔は高札場があったT字路で、「右 延沢道
 左 秋田道」に分かれていた。左に折れると芭蕉の俳友で紅花大尽といわれた豪商嶋田屋、鈴木八右衛門こと清風の邸跡がある。現在、鈴木清風邸跡の隣には「芭蕉、清風歴史資料館」として、江戸末期の町家を移転復元しし、「おくの細道」関連資料や藩制時代の尾花沢の様子が展示されている。
 梺町の十字路を右折すると尾花沢小学校に突き当たる。ここには尾花沢代官所(陣屋)があった。その少し手前を入る道が「古道」の羽州街道である。芭蕉が逗留した養泉寺(10泊滞在)の前を下って丹生川べりに広がる水田地帯にでるのが、羽州街道の荻袋道である。周辺マップ (金山町・西田 徹)


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