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羽州街道交流会は東北のまちづくりを応援します。

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〒990-2441 山形県山形市南一番町1-23-403 えあーまりん内

羽州街道と宿場concept


宿場ルート

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山形県金山町

【上台峠の道】
 新庄市と金山町の境が上台峠である。国道13号新庄市赤坂集落を過ぎ、右に向かう砂利道が旧羽州街道の道なりとなる。砂利道なりに切り通しを抜け、杉木立を進むと金山町上台集落に着く。
上台峠は江戸時代には、三坂峠(赤坂、中ノ沢坂、前坂の三つを越える)と呼ばれる難所であったが、1880年(明治13年)、初代山形県令三島通庸により、幅4間(約7.2m)の新道が整備され、これによって人々の往来や物資の輸送が活発化した。翌1881年(明治14年)には明治天皇が東北行幸時に通過しており、金山町上台集落の今田家に記念碑が残されている。
 金山町の上台地区では、旧道の保全活動が行われており、集落の入り口にある熊野神社から通ずる江戸時代の街道と明治新道を結んだ散策路を整備している。また、熊野神社は境内にブナやヒノキの巨木が聳え立ち、鎮守の森を形づくっている。
 明治11年、北国を旅した英国の旅行家イサベラバード女史は「日本奥地紀行」の中で、上台峠からみた金山の町を「ロマンチックな雰囲気の場所」と記しているが、上台地区のから熊野神社の鳥居前を通って、左手の山へ上ってゆく旧道からであったと思われる。周辺マップ (金山町・西田 徹)

←イザベラバードの見た風景

←旧街道(明治新道)

←熊野神社

←明治天皇行幸記念碑


【金山宿】
 金山は戦国時代には山形の最上氏の家臣が楯山に居城を構え、秋田小野寺氏との戦いに備える要害の地であった。江戸時代に入り、戦乱も収まったことから新庄藩の代官所が置かれた。秋田へ通ずる街道には森合峠、主寝坂峠、雄勝峠など険しい峠が控えることから、藩境の重要な宿駅として発展した。特に、岸家や西田家、川崎家など商いで財を成し、新庄藩が力を入れた杉材を中心とした山林経営を引き継ぎ、樹齢80年を超えるの金山杉の産地として知られている。明治時代に幾度かの大火を経験し、本陣などの江戸時代から続く建物は残っていないが、街道沿いには明治期に建てられた商家が残り、町が進める木造住宅の普及策と相まって落ち着いた風情を感じる街である。
 宿場は街道沿いに七日町、十日町、内町からなり、定期市が立っていたことがわかる。町内には水路が巡らされ、として家々に引き込まれているものもあり、清流が生活に密接な役割を果たしていたことを知ることが出来る。
 明治11年、英国の旅行家イザベラ・バード女史がロマンチックな町と感じ、北への旅行のため休息として数日滞在し、風景と人々の気遣いを文章に記した金山、今もこの印象を大事に金山は先人が守ってきた生活や風景を伝えていこうという温かさがある。昔はどこにでもあった普通の町だが、「いつか見た」を感じる宿場町である。周辺マップ (金山町・西田 徹)


←木造家屋が続く金山の街並み


←鯉が放流され憩いの場となっている大堰界隈


←特産の金山杉を活用した金山川に架かる木造歩道橋(きごころ橋)


←楯山から望む金山の街並み

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