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山形県新庄市

【新庄宿】
 新田川を渡った北で国道13号を横切ると鳥越の一里塚に着く、見事なブナの樹が聳える一里塚である。一里塚の樹木は松や杉、エノキ、サイカチが多く、ブナというのは非常に珍しいという。
 新庄初代藩主の戸沢上総介政盛は秋田仙北の戦国武将だったが、関ケ原の功により常陸松岡に4万石を賜ったが、後の彦和8年(1622)山形最上氏の改易により、新庄6万8千石に封ぜられた。出羽では、秋田佐竹、庄内酒井、米沢上杉と並ぶ大大名であった。
 城下町の中心の大町に向かう道の金沢から鉄砲町にかけては、南から円応寺、接引寺、松厳寺、長泉寺などの寺が並び、鉄砲町は昔、侍足軽町とも言われた。鉄砲町から中の橋を渡るとすぐに南口の大門があった。さらに県道新庄戸沢線と交わる落合町角を右に曲がると、かつては蔵店や旅籠が並んでいた大町通りとなる。街道は新庄城大手口となる大町十字路を境に南本町と北本町に分かれる。ここが宿場の中心地で、本陣、問屋は南北両町にあり、北本陣が中島宗内、南本陣が井(伊)東弥左衛門家であった。善龍寺の門前を左に曲がると、横町、さらに右に曲がると万馬町でかつて花街として賑わったと云う。さらに進むと吉川町、鍛冶町となり、鍛冶町の角を右に曲がると城下続きの通りの端の茶屋町となる。道は北へと続き、ここで新庄の城下と宿場を離れる。新庄市内は城下町特有の鍵型道路であったが、道路整備が進み、鍵型道路は解消されてきている。
 新庄市には、藩政時代の宝暦6年(1756)から続く、飢饉で心身ともに疲弊した領民たちを鼓舞し、五穀豊穣を願うために始まった新庄まつりがある。約260年の伝統があり、今では山車づくり、囃子、ひき手などと、その全てに市民が関わる地域あげての祭りになっている。絢爛豪華な20台の山車行列が通りを練り歩く。2009年に「新庄まつりの山車行事」として国の重要無形民俗文化財、2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録された。周辺マップ (金山町・西田 徹)


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