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羽州街道と宿場concept


宿場ルート

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秋田県湯沢市

【雄勝峠(院内峠)の道】
 雄勝峠(院内峠)の道の道は佐竹氏が秋田に転封された以後に開削された道であるが、今は新しい雄勝トンネルの上の森と藪に埋もれている。
 丁山地から神室連峰まで連なる障壁の山々、一見通行不能の山岳地帯が最上と秋田の領域であった。この両地の連絡路は古代から中世にかけ、金山から役内(湯沢市)に越える有屋峠に頼っていた。
 慶長7年(1602)、が秋田入りし、翌年、雄勝峠(院内峠)が開削された。羽州街道が江戸往復の主要道として整備されたことで 険しい有屋峠の山道に比べると、街道の通行はより楽なものになった。
 七色木峠や杉峠とも言われた雄勝峠の旧道も今ではすっかり藪に埋もれてしまい、その道筋を完全にたどることはできない。真室川の朴ノ木沢から廃道となった旧国道13号をたどって、旧雄勝トンネルの左手にあるからトンネル上部の鞍部に分け入ってみる。明治新道の踏跡をたどり、つづらの道を進んでいくと峠の頂上部の切通しに着く。道路部には灌木が生い茂り、倒木もあって中々進みにくいが道路型をみることができる。院内への下りの道は、途中崩落箇所もあり、難儀である。途中、杉峠の面影を感じる杉の巨木に出会う、根曲がりの幹回りが5mを超える優に300年を超えていると思われる大木である。道行は雄物川の源流部の沢となり、沢を渡り、旧国道のスノーシェッドが明治新道と交錯する道路となり、トンネルの秋田県側の入り口で国道13号と合流する。周辺マップ (金山町・西田 徹)

←旧国道13号雄勝トンネルからの旧街道登り口

←峠頂上の切通し

←途中にある杉の巨木

←院内側スノーシェッド入口


【下院内宿】
 藩政時代、上院内には足軽屋敷が立ち並び、十分一沢川(銀山川)と街道が交わるところに一里塚があったと言われている。その先で、秋田藩十二社の一つであったに出合う。街道を通る藩士たちも必ずこの神社に立ち寄って参拝したという古社である。境内や門前には、牛馬供養塔や養蚕供養塔、出羽三山講碑、コロリ地蔵尊などがあって、土地の人々の暮らしとも深い関係をもっていたことが偲ばれる。
 愛宕神社の前に架かる愛宕橋が下院内宿との境であった。江戸時代の街道は、愛宕神社から館山の裾を東に向かう川沿いの急峻な道であったため、明治時代に天皇の行幸に合わせて新道が整備され、現在の道筋となっている。
下院内は慶長13年(1608)に小規模ながなされ、内町、田町、新町に士族が集まった。神明社のある館山の下、町には本陣が置かれたというが、元禄14年(1701)の洪水で北に寄った瀬戸山山麓に移された。院内で御本陣を務めたのは斎藤善兵衛宅であった。旧院内小学校の北に、江畑家の茅葺住居と樹齢300年を超すカヤの樹があり、往時が偲ばれる。また、下院内の街道沿いは落ち着いた家並みが続き、街道の面影を感じる場所である。
 下院内から旧国道に重なって街道は馬場へ向かう。馬場は国道から外れたせいか、古いの名残が感じられる静かな通りとなっている。浄土真宗誓願寺にある阿弥陀如来は、もともと銀山町の西光寺にあったものという。周辺マップ (金山町・西田 徹)


←コロリ地蔵尊


←愛宕神社


←下院内宿の街道界隈

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