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羽州街道と宿場concept


宿場ルート

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秋田県横手市

【横手宿】
 羽州街道の横手への入り口は、平和街道(R107)との交差点である安田を進み前郷となる。前郷は横手城下町の南口で、前に進むと神明町で道路を挟み神明神社とが向かい合って鎮座しており、このあたりが一里塚付近跡である。更に北に進むと四日町、大町となる。両町はで賑わいを見せる通りであった。江戸時代には馬市や十二斎市も許され、各種の大店が立ち並び、繰り綿や木綿を商う店が目立ち、横手木綿の隆盛をみることになった。また、両町には伝馬御用が給され、町飛脚の御用など、それぞれ分担しながら参勤交代を支えた。四日町の西裏が寺町で、秋田藩主佐竹氏の御休所があった。
 横手の城下町は、横手川を境にして、武家町である内町と外町に分かれていた。朝倉城、ともいわれた横手城は、戦国大名小野寺氏の居城を受け継ぎ、佐竹氏の所預かりとなってから、伊達、須田氏に続いて、寛文12年(1672)以降、戸村十太夫が城代となった。内町は、幕末の戊辰戦争により横手城が落城した際に、城下の内町も大半が焼失してしまい、現在は羽黒町と上内町となっている。地区内には、現存する武家屋敷は残っていないが、板塀や生垣、屋敷内の樹木とお城のある愛宕山の緑が織りなす風情ある景観は、かつての武家屋敷の面影を偲ぶことができる。
 外町の北端で横手川に架かる蛇ノ先橋を渡ると、川の右岸沿い南北に足軽屋敷があり、北側の侍町であった新町通りを羽州街道が貫く。現在、付近には大正15年から13年間にわたり横手で教員生活を送った石坂洋二郎の文学記念館がある。横手は「山と川のある町」などの作品の舞台となり、洋二郎の文学を育み、開花する場所となった。
 足軽町を抜け、大鳥居山と明永沼の間の新坂を北上し、羽州街道は七日市と横手高校裏手の長坂を通って安本入り口で国道13号と合流する。
 横手の中心部は、街の再開発とともに古い商店の家並みは消え、最近は空家や空き地が目立つようになり、往時を留める店は数件となり、街並み的には非常に寂しい限りである。周辺マップ (金山町・西田 徹)


←横手川と横手城、観音寺鐘楼


←かつての内町の面影を残す羽黒町


←大町通りの様子


←石坂洋二郎文学記念館

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