羽州街道の宿駅 楢下宿
 楢下は藩政時代、青森、秋田、山形の諸大名十三藩の参勤交代の宿場として、本陣、脇本陣、問屋、旅籠屋、茶店などを備えて賑わい、羽州街道の交通の要衝でした。
 楢下宿は金山峠を越えて出羽国に入って初めての本陣を有する宿場で、宿頭から宿尻にかけて、新町、下町、横町、上町と続く四町から成りますが、この中で下町は宿場の中心でした。ここには、本陣、問屋を務めた「塩屋」をはじめ、脇本陣、準本陣に相当する「庄内屋」「秋田屋」とともに「滝沢屋」が街道の東側に並んでいました。新町は宝暦7年(1757)の楢下大洪水の後で新たに割り出された町並みですが、以後幕末まで基本的には構成に変化はなく、鉤形(コの字)に曲折していましたが、明治13年(1880)石造の新橋、さらに同15年に覗橋が架けられ、その翌16年には、上町から新町へ直通する新道が開鑿されて、町形もコの字からロの字に変わりました。そのため下町、横町は、新しい道から外れた存在となり、閑静な町並みとして遺され、最近まで古民家遺構も比較的多くありました。
 滝沢屋に残っている天保年間の「旅籠取覚帳」によれば、出羽三山詣での行者、その他、各藩の家中や商人らの宿泊した記録もあります。また、昭和44年の秋、宿場風景取材のため楢下を訪れた向井潤吉が、滝沢屋(丹野家)で「秋惜しむ楢下の宿やどじょう汁」の俳句を詠んでいます。
.
配置図
 
滝沢屋(旧丹野家)
 丹野家は江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢家」と称し、「滝沢諸白」という銘酒の造り酒屋でもあり、脇本陣、また旅籠屋としても活躍し、大名や上級武士の宿泊、休息に利用され、その関札が遺されています。
 建築年代は明かではありませんが、宝暦7年(1757)楢下の大水害以後の建築で、230年余を経過した建物であると推測されます。
 集落の真ん中を流れる金山川には、明治13年、最先端技術を駆使して石造りの珍しい眼鏡橋がかけられ、落ち着いた情緒をかもし出してします。
 今に残る同地の「庄内屋」とともに、下町における本格的な宿泊施設であり、保存状態も良好で、貴重な遺構建築物として平成7年12月8日山形県の有形文化財に指定されました。
〔史跡〕 羽州街道 楢下宿(ならげしゅく)・金山越(かなやまごえ)

庄内屋

 この建物は、下町(本町)にある脇本陣で、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の常宿とされ、庄内侯の煙草盆や拝領品が今に遺されていますが、そのほかの藩侯の宿札も遺されているので、広く利用されていたとみられます。「庄内屋」は楢下に遺された家屋の中では最も古い時期のもので、18世紀中期ごろに建てられたものと推測されます。

大黒屋

 大黒屋は楢下の下町にあって、元脇本陣滝沢屋の南隣に位置する由緒ある家柄です。建築年代は隣地の一部を借用した証文によると、文化5年(1808)のようです。これは主屋を除き他所から解体した建てt物をそのまま客座敷として建てるための借地であり、この古材の年代も含めればその部分はさらに50年ほどさかのぼるものと思われます。

旧武田家

 旧武田家は南北にのびる新町の道路西側に位置します。宝暦8年(1758)の屋敷割絵図に「旅籠屋」であることが明記されており、また、台所改造の際、「宝暦九うノ六月吉日」と木内に墨書のあるのが発見され、建築年次も明確にされる貴重な遺構です。
宿場町 楢下の集落構成
楢下宿にはご案内役がおります。楢下宿ボランティアガイドはこちら
 
ページトップ
Copyright(C) 2004 Kaminoyama Machidukuri Juku All rights reserved

上山まちづくり塾
〒999-3192 山形県上山市河崎一丁目1-10 上山市役所 総合政策課内
TEL 023-672-1111/内線223・246 FAX 023-672-1112